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妙に縁があり

絶対に、わたしの、ソウル・メイト・グループの一人にちがいないっ!!!・・・と密かに思っている、テキサスに来て以来ずっと仲良くしていたおじさん(去年の秋に定年でハワイに移住してしまった・・・)の親戚が、実はこの津波で流されて亡くなった、という話を聞きました。

そのおじさんは、子供時代に引っ越しが多かった、と言う話を聞いていたので、ぜんぜんわかってなかったけど、おじさんのお父さんの出身が福島で、まさに、被災地から5kmとかってところだったらしく・・・(=おじさんの本籍は福島)

そこには、おとうさんのお墓もあったらしいけど、もう行かれない状態になってしまった、とのこと。

おじさんも、ハワイにいながらにして、身近な人がそんな被害に遭い、テレビをつければ、原発の怖い話とか被災地の悲惨な状況の話ばかりで、めいってしまうから、テレビをあまり見ないようにしている・・・

と言っていた。

「ネットでは、時々心あたたまる話や、元気が出る話もありますよ!」

って言ってみたけど、「それを見つけるために、悲しい話とかいやな話を見るから、もう気力がない・・・」とも。

だから、なにか元気の出る、いい話を見た時には、ブログでアプすることにします。
(おじさん、見てね〜!!!)



emoticon-0155-flower.gifってことで、本日の、元気が出た話。


岩手県大船渡市三陸町越喜来(おきらい)の泊地区。

津波で避難場所にしていた公民館まで流されたが、家を失った人を近所の人が受け入れ、自宅を「避難所」にして共同生活をしている。
震災から3週間がたった4月初め、ともに一夜を過ごした私に、受け入れ先の一人、林明さん(65)は言った。

「同じ地区の人だからみんな家族みたいなもんだ。
 こういう時だからこそ、一つになって乗り越えていかねえと」

2日午後4時半、林家。
外はまだ明るいが、電気が復旧していないため家の中は薄暗い。

「ご飯ができたよ」。

林さんの妻清子さん(68)が声をかけた。
震災直後は近隣の人など約10人が寝泊まりしていたが、親類宅に出かけるなどして、この日は4人がこたつに足を伸ばした。
練炭が入ったこたつがほっこりと温かい。
灯油ランプが唯一の明かり。
救援物資の米をガス釜で炊き、大根とイカを煮た郷土料理の「塩炊き」、アワビの煮物、マグロとイカの刺し身など料理が並んだ。
漁師の林さんが二つの大型冷凍庫に保存していた食材を使ったものだ。

「ある物は全部出した。
 毎日うちはごちそうだから」

泊地区の今野貴久雄区長(71)によると、地元ではホタテやカキなどの養殖をしている漁師が多く、約65戸のうち約3分の1が流された。

家を失った人に食事や寝る場所を提供する林さんだが、自身も船2隻を流された被災者だ。
手掛けていたホタテやカキの養殖も全部駄目になった。

「『太平洋銀行』に預けておいたけど、全部預金をおろして海に投げ捨ててしまった。
 もう何にもねえ」。

それでもこう笑う。

「家を流された人に比べれば、家が残っているだけましだ」


こたつで、家を流された小野寺恒雄さん(77)と妻スズヘさん(76)が言った。

「海のそばに建て直すのは怖いなあ」

ビールを飲みながら林さんが応じる。

「次に家さ建てるならば、うちの土地があるからそこに建てろ。
 それまではここにいれば大丈夫だ。
 そんな応援しかできないけども、安心したところに家さ建てて頑張っぺさ」

小野寺さんは神妙な表情でうなずく。

「最高の応援だあ。それ以上の応援はねえもんだ。悔やんだって仕方ねえなあ」。

清子さんが

「そうだあ、命あっての物語だあ」

と応じ、林さんが

「人間っていうのは、人情があってこその人間」

と続く。

笑い声に包まれ「避難所」の夜が更けていく。
午後9時。
ランプの明かりを消し、眠りにつく。

記者が外に出てみると、小雪が舞い、家々が並んでいたはずの集落の辺りはただ暗闇が広がっていた。

翌日午前6時半。
清子さんが炊いたご飯を三つの鍋に分け、それを林さんが軽トラックの荷台に載せた。
避難している人たちが身を寄せる家への無料配達だ。

「はいよー、ご飯」。

配達先で林さんが声をかけると、女性が

「どうもねー。いつもすいません」

と笑顔を見せた。

「家を流された人たちだからね。やっぱり温かいご飯食べさせて励ましてやりたいでしょ」

4軒の配達を終えると、林さんは車を漁港前で止めた。
震災後、「仕事場」を見に来たのは初めて。

「うちの船、ここにつながっていたんだけど。いないみたいだな」

とため息をついた。

崩れた水門や変わり果てた漁協の建物を見て

「強烈だなあ」。

丸1日同行して初めて見たさみしげな表情だった。


2日後。
夕食時に再び訪ねると、林さんはいつものように豪快に笑った。

「そのうちいいことあるんじゃないかと思ってな。
 悪いことばかりじゃないんだ。
 それ夢見て頑張ってんの」。

ランプの明かりに照らされたみんなの顔がほほえんだ。



震災の後のすぐに話題になった「再建おじいさん」もすごいなぁと思ったけど、今回は、特にお年寄りのお話が、みな、たくましくって、そういう記事を読んだりすると、とても勇気をもらえます。
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by chiemittii | 2011-04-10 01:16 | いろいろ思ふ・・

こういうのは、

何回も見たいなぁ、と。





今日、よく読んでいるブログですばらしいニュースが紹介されていました。


emoticon-0155-flower.gif大震災直後、Google怒濤の開発


3月11日金曜日。東日本大震災の直後から、六本木ヒルズ(東京都港区)26階にあるGoogle日本法人のオフィスの一角に、技術者など十数人のスタッフが集まっていた。

小さなこたつ机を囲み、ひざを突き合わせる。

「われわれに何ができるのか」――真剣な議論と開発の日々が始まっていた。


「いかに早くリリースするか」 オフィスを小走りで移動、リポDの山も

こたつ机を囲んだメンバーの1人が牧田信弘プロダクトマネージャーだ。
普段はモバイル向けGoogleマップを担当しているが、地震後はすぐに米国オフィスと連絡を取った同僚とともに、人の消息情報を登録・検索できる「Person Finder」の準備に取り掛かった。

Person Finderは、昨年1月のハイチ地震の際にGoogleが公開したシステム。
昨年2月のチリ地震や今年2月のニュージーランド地震でも利用されている。

牧田さんらはPerson Finderのユーザインタフェースを日本語化し、地震から2時間足らずで公開した。
被災地からも手軽にアクセスできるよう、すぐに携帯電話版の開発にも着手。
その日のうちにリリースした。

口頭で伝えやすいよう、Person Finderの短縮URL http://goo.gl/sagas も準備したほか、災害情報をまとめた特設ページも用意した。

牧田さんらはオフィスに泊まりこみ、睡眠もほとんどとらず、開発を続けていた。

「いかに早く(サービスを)立ち上げるか」に注力。

「1分1秒でも惜しい」と、オフィスで10メートルほどの距離を移動するにも小走りだった。

「直接話したほうが早い」と、打ち合わせはチャットを使わず、顔を見ながら進めた。

「ベース(基地)だった」というこたつ机には、栄養ドリンク剤「リポビタンD」の山ができた。



海外オフィスのスタッフも協力 丸い地球でバトン渡して

その後もGoogleは震災対応のサービスを立て続けに公開していく。

計画停電情報をまとめたGoogle マップ、翻訳アプリ「Google Translate」の日本語向け機能強化など、2週間のうちに30件ほどリリース&アップデートした。

本田技研工業からデータ提供を受けて始めた「自動車・通行実績情報マップ」や、TBSやテレビ朝日などが撮影した被災者からのメッセージ動画を集めたYouTubeの特設チャンネルのように、他社との連携も積極的に進めた。

震災関連のプロジェクトリストを作って社内で公開すると、手の空いている技術者がすかさず協力を申し出る――そんな状況だったという。

米国やオーストラリア、韓国などGoogleの海外オフィスのスタッフも開発に加わっていった。

日本のスタッフが寝ている間に海外のスタッフが代わりに開発し、朝起きたら完成している――というケースもあった。

「Googleはグローバル企業なので、時差のあるところに誰かがいてサポートできる。
 丸い地球でバトンを渡しながら開発が進んでいた」。


Googleがボランティア募集、5000人協力

3月14日に公開した避難所名簿共有サービスは、技術者ではないスタッフの発案だった。

Google日本Blogは「未曾有の大地震と津波の被害に遭われた皆さまのために私たちができることができないか、ずっと考えています。その中で、ひとつのアイデアを実行に移すことにしました」と紹介した。

避難所名簿を写真に撮ってメールで送ると、自動でPicasaウェブアルバムにアップロードし、全体公開する仕組み。さらにGoogleの約200人のスタッフが手作業で写真の情報をテキストに起こし、Person Finderに入力していった。

走り書きのメモなど不鮮明な写真も多い中、間違いは許されない根気のいる作業。「みんな血眼になっていた」。

投稿写真が増えるにつれ、Person Finderへの入力作業が追いつかなくなったため、ユーザーにも協力を呼びかけた。

集まったボランティアは5000人。入力作業の手順をまとめたWikiページを自発的に作ったユーザーもいた。

PicasaからPerson Finderへ登録した情報は3月29日時点で14万件にのぼった。
Person Finderには警察やマスメディアが提供した情報も加わり、現在は60万件以上が登録されている。

「Person Finderのおかげで親戚の無事が分かった」と、感謝を伝えるはがきもGoogleに届いた。
ネットなどで見かける「ありがとうGoogle」という言葉を励みにしていたと、牧田さんは語る。

震災後、必要とされる情報は日々変化している。Googleが提供するサービスの中心も、Person Finderなどの安否情報から、今後は生活情報へシフトしていく予定だ。
「インターネットにアクセス不可能な地域の方に、どのように情報をお届けできるかについては、引き続き模索していく」



――Google日本ブログにはこんな宣言も載っている。

現在、Google日本法人のスタッフは以前と変わらず主に東京のオフィスで仕事を続けている。
一部の社員は震災後、普段の業務そっちのけで、震災関連のサービス運営にあたってきた。
「20%ルールどころか100%フル稼働」と明かす。

「我々のミッションは、情報を整理していかに早く見やすく届けるかということに尽きる。
散らばった情報を1つにするのはわれわれにしかできない。疲れていても元気です」と牧田さん。
Googleの挑戦は続いている。


・・・とのことで、なんて行動がはやくって確実なんだっ・・・☆

わたしも帰ったら、テキにいるよりはできることが増えるかしらん・・・
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by chiemittii | 2011-04-05 14:25 | いろいろ思ふ・・

いろいろリンク(地震関係)

こんな個人ブログで紹介したところでたかが知れてるよな〜、とは思いつつも、たまたま検索した時にでも、偶然ひっかかって、これらの情報が伝わる手段に少しでもなれればと思い、またまた、あぷいたします。


知人より紹介された、被災地、陸前高田に支援に行かれた看護師さんのブログ。
つらい部分も少しありますが、現地のほんとうの姿を知ることができる、すばらしい日記でした。

被災地へ医療スタッフとして行ってきました。




もひとつ、東北地方太平洋沖地震の迷子動物情報や支援先、獣医さんの情報を公開されている方のブログ。
個人ブログにもかかわらず、とても詳しい情報で、内容もまとまっています。

被災地動物情報のブログ



こちらは、動物救援活動の正式サイト。

東北地方太平洋地震・緊急災害時動物救援本部


最後に、またまた、このあいだ紹介した、産経フォト、こだわり写真館より。

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by chiemittii | 2011-03-28 20:42 | いろいろ思ふ・・

産経フォト、より。

すばらしかったので。

避難所にいるワンコとニャンコ。

ごはん粒・・・
by Kim Kyung-Hoon
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カバンにちょこん。 
by David Guttenfelder
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よかったね。
by Kim Kyung-Hoon
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放射線検査中・・・
by Gregory Bull
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寒い中がんばってる・・・なワンコさんたち。
by Schweizerisches Korps fuer Humanitaere Hilfe SKH/Michael Fichter/Handout
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おつかれさま。 
by Matt Dunham
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被災地の方々&動物たちに、早く心休まる日が来ますように・・・
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by chiemittii | 2011-03-18 18:39 | いろいろ思ふ・・

母りんミラクル。その7。(終わり!!!)

母りんミラクル。その6。」の続きです。

いやぁ、ここから先が書きたくて、ここまで書いていたと言っても過言ではない!?!!!

今日のは超・スーパー・ウルトラ・ミラクルです!!!
みなさん、受け取る、準備はいいですか?!

・・・と言うことで。


父親はすでに他界しているので、喪主は、長女である、このわたし・・・。
人前に立って、話すの、超苦手・・・なこのわたし・・・が喪主挨拶。
うぅ・・・できれば、妹に代わりたかった・・・。
絶対に!!!誰から見ても!!!妹の方が、しっかりしてるし、人前に出てなんかするの、妹の方が、得意で、きちっとやれるしっ!!!ヾ(´▽`;)ゝ

でも、そんなことは無理・・・(だって儀式だもの・・・)


でも、これには、母りんも、心配でしょうがなかったと思われ・・・。
すごかった、母りんの、あっち側からの応援が!!!!!

ちびっちゃいところだと、お通夜とかお葬式までの間・・・ 買い物するたんび、合計が4444円だとか、444円とか、ずーーーーーっと、4のゾロ目ばっかりありえないくらいにつづいて(なんか、あの、ほら、ぞろ目って、「見守ってるょ〜」的な、あっち側からの合図とかって言うし・・・)「ああ、はいはい、心配ありがとう、だいじょぶだってばさ〜・・」と笑ってしまうほど、でした。


でもって。

いくら緊張しぃで、人前に出たら、頭が真っ白になってしまう自分とはいえ・・・うちら姉妹には、お通夜とかお葬式に来ていただいた人に、母りんに代わって伝えなければならないこと・・・があった。

母りんは、父もいなくなって一人になった後も、ほんっとにたのしくアクティブに過ごせていて・・・それらは、ひとえに、たくさんの母りんの友人知人のおかげでもあり・・・
深刻な病気を抱えながらも、病気のことを心配しすぎずに、元気に過ごせて、お陰で、うちら姉妹もそれぞれ離れて暮らしていてもとても安心できたし、そういう意味で、ほんっと〜・・・にお世話になった。

そして、それをちゃんと伝えたいなぁと思っていた。
だから、前に出てしゃべるときに、頭が真っ白になっても安心なように、カンニング用のメモ書きを用意したり、いろいろと準備をしていた。


そしてお通夜の日。
でかける準備をしていたところ・・・母りんからの、すごいメッセージがやって来ました・・・ まず第一弾。

●●●ってことで、またしても、当時の日記から。

家のかたづけをしつつ、支度をしながら、テレビをつけてたら、ちょうど、夏川りみ、って人が新曲を披露していた。
タイトルが「さようなら ありがとう」って言うんで、なんか、ひっかかり、「うーん、まさか?」と思って、(なぜか)ソファに座ってじっくり見てみたら・・・

ちょっと・・・もう、母りんからのメッセとしか思えない歌詞。
そしてビロビロ泣く・・・ (化粧前でヨカッタ・・・)
でもって、その歌詞を、「これ、絶対母りんからのメッセだよね?!?!」って思って、ネットで情報を検索してたら、なんとこの曲は、まだ発売してなかった。
=歌詞は、まだどこにもなかった。
でも、作ったのは、コブクロの背の低い方の人、ってことがわかった。
んで、この曲を作った時の心境が書かれてる彼のページにぶちあたった。

・・・すごかった・・・!!!



///////////////////////////
(コブクロの人の説明より)

これまでに、僕の視点から、亡くした自分の母を想って書いた歌はあるのですが、この歌は違います。
僕が18歳の秋の日、母は天国に逝きました。
泣きながら途方に暮れている僕や家族を見て、母はもしかしたらこんな事を想いながら、旅立っていったんじゃないかな?と母の視点になってみて書いたのがこの歌です。

りみさんの声も容姿も雰囲気も、どこかしら母に似ているんです。
りみさんが歌ってくれる曲を書くのに、やっぱり、どうしても、無意識のうちに、自分の母親を映してしまいます。

この曲は、亡くなった人から残された人だけに、向けた歌ではありません。
世界中には、様々な境遇で最愛の人や、かけがえの無い人からの旅立ちや離別を迎える人が沢山います。
そして心の隅に、その大切な人への想いをかかえて頑張っている人も、また沢山いると想うのです。
そんな人たちを、りみさんの歌声で話しかけるように励ましてあげたり、支えになってあげられるような、そんな歌になれば良いな、と想って書きました。


(いじょ、コブクロさんの引用おわり)

・・・って・・・ おい・・・

んもーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
そう(=母りんからのメッセ)としか思えないじゃんっ!!! ってか、そのものじゃんっ!!!

ええ、ええ、わかりましたよ、おっかさん・・・。
この手のこと、疑い深いわたしに、どうにも疑いようのない、わっかりやすいめっせじをありがとさん!!!


(いじょ、引用おわり)


・・・ってことで、歌はこれ。(今はもう発売されてるので見つかった!!!ああ・・・ひさびさに聞いてちょっとうるるん)



・・・ってこれ、一部しかないやんか・・・

なにはともあれ。
歌詞はこちら。

♪♪♪

泣いたりしないでね 今日は大切な日だから
ちゃんと見ていようね 心の音が消えるまで

でもね もう いつでも会えるからね
嬉しい時も 寂しい時も
胸の奥 そう信じて 望むならば

この風に溶けて あの歌に乗って
気づけばあなたを包んでる
懐かしい匂いがしたら いつものように笑ってね
今 空に向けて ただ安らかに 羽ばたくこの背中をご覧よ
右の羽には さようなら 左側には ありがとう

出逢う度あなたは やさしさひとつ分けるんだよ
別れのたびにまた 強さひとつもらうんだよ

でもね ずっと あなたはあなたのままよ
旅立つ朝も つまづく夜も
私の中 眠ってた あの日のまま

この風に溶けて あの歌に乗って
気づけばあなたを守ってる
春の雨に 夏の川に 秋の落ち葉に 冬の窓辺に
今 空に向けて ただ安らかに 羽ばたくこの背中をご覧よ
右の羽には さようなら 左側には ありがとう

右の羽には さようなら 左側には ありがとう


・・・もうね、いっちばん最初に「泣いたりしないでね。今日は大切な日だから」って歌詞が画面に出て来たとき、「わかったよ!!!今日は、大事な日だから、泣かないで、しっかり、やりとげるぜよ!!!かーーーさん!!!がんばるでー!!!」と思ったのでした。(いや〜・・・んでも、本番では、ちょっと、泣いちまったけども・・・)


そして・・・

式典をする会場の、親戚一同用、待合室の部屋に入ったら、なんと壁に、百合の絵の額がありました。 「こ、ここにもめっせじが・・・」と思って、部屋を出て振り返ったら、なんとその部屋は「百合の間」って書いてあるし!!!(母りんと百合の花の関係についてへ、 母りんミラクル。その1 を参照のこと)

か、かーさん・・・こんなところにまで・・・

更に・・・
祭壇の前に、妹夫婦、その少し後ろにわたしら夫婦・・・といたときに、なんか、ふと、母りんが、遺影の顔のまんまの満面の笑顔=すごく満足そうな笑顔で、安心してうちらを眺めている感じがしました。
なんか、ふと、あったかいエネルギー がぽわあっと、来たような・・・???
気のせいかもしれないけど。
そういう感じがしたと同時に「あ、母りんは、あちらから、二組の夫婦を見て安心しているんだな〜」って思いがわいて来た。

でもって、次の日?だったか・・・の夢。
虹がたくさんでて、それらがどんどん消えて?光?水?になっていく夢を見ました。

それを・・・今回の母りんの看病中、大変お世話になってたニュージャージー時代からの友人ヒーラーさんに言ったら、「ああ、それは、無事天上に着いた、と言う合図だね〜」と。

そしてそして、更に、この数ヶ月後。

テキサスに引っ越して1ヶ月・・・からずっと日本に滞在してばっかりで、テキサスの家はほっぽらかしだったのが、やっと落ち着いて、本格的に新しい生活を始めることができて、少しずつ慣れようとしていた頃・・・

ソファで居眠りしてたら、雲の上にいる母りんが、わたしに電話をかけてくる という夢を見ました。
電話に出た時に、母りんに、「テキサスの生活はどうぉ?」って聞かれて、「まぁ、ぼちぼち」って答えて「母りんの方は?」って聞いたら、「こっちも、最初は慣れなかったけど、今は慣れて来たわ~。」みたいな感じで、妙にリアルな会話だった。(わたしは、テキサスに、母りんはあっちの世界に、みたいな。笑)
最後は「あんたもがんばりなさいね~」と言われて切って終わりました。
夢のくせにちゃんとストーリーが順序よく流れてました。
(母りんミラクルは、1年後にも、まだ続いていて、次の年、もう誰も住んでない実家を「さすがに処分しなければ・・・」ってことになった時にも、姉妹2人だけで&たったの5日間で、実家の一軒家をすべて整理し、不動産屋に売り終わる、・・・という、ありえない速さですべてが終了したのでした。なんでも確実にちゃっちゃとこなす母りんがついていたかのよう・・・いや、多分ついてたんだけども。笑)

そんなこんなで、悲しいは、悲しいけど、とにかく、すべてがありがたく、感謝の体験となった、母りんとのこの世での最後の関わり・・・でした。

いやはや、かなーーーーーり、長々とおつきあいいただき、ありがとございました~。
(途中、「今の出来事」って勘違いさせてしまい、ご心配いただきすみません&ありがとうございました!!!)

※10月末に、父親の13回忌と、それにあわせて、母親の前倒し7回忌をしました。何も考えず、日程を調整したのに、偶然にも、母親が5年前に亡くなった日に、法事をすることになり、それでなのか・・・なんか母親のガンの看病をしていた頃のことを整理したくなった、というか。若干不思議系(&思い込み系)入りますが、ここに書いておくことで、誰か、何かの役に立つことがあれば、と思います。

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by chiemittii | 2010-12-24 09:23 | いろいろ思ふ・・

母りんミラクル。その6。

母りんミラクル。その5。」の続きです。

大移動の疲れ(&時差ボケ?)もあって、ちょろっとゆっくりめ、昼ごろ病院へ。

●●● 当時のメモより。


今日は朝、お風呂に入れてもらったんだと。

久々のお風呂でびっくりしたみたいだけれど、やっと髪の毛も洗えて体もきれいになって、お尻もきれいになってヨカッタ!!!(← 前の市民病院ではお風呂にはほとんど入れてもらえず、看護婦さんの数もいっぱいいっぱいだったから、トイレの方・・・っていうか、オムツの方も、必要最低限の交換だった。・・・ぶっちゃけ、ほったらかし、というか・・・まぁ、意識障害があって、何の文句も言わない、っていうか、言えない・・・から、忙しさに流され、ついつい後回しにされてしまうのはしょうがないけれども、お見舞い時間がスタートする午後3時に行ったときに、オムツだとか、なんにも処理されてない、ってことが多くて、母りんは肌が弱かったので、そういうことが重なって、お尻とかが、赤くただれてしまったり、かぶれてしまったりするのを見てて、「ああ・・・たまには、お風呂入ってお尻もキレイさっぱりしたいだろうなぁ」と、いつも妹と話していたので、この時は、ホスピスに移って、ほんとによかったなぁと思いました。)

その後、なんとリフレクソロジーもある、とのことで、そちらも早速やってもらった。
(西洋医学的な治療はもうほとんど何もできないから、それ以外で、よさそうなことは、全部やってもらえーーー!!みたいな。)

そしたら、痛い、とか痛くない、とかの反応も、一応出してくれて。
(「痛かったら手を握ってね」と言ったら、握ってくれた!!!)

途中マッサージにうっとり・・・って感じで気持ちよさそうだったり。

・・・とそんなこんなでまったりと、平穏に時間が過ぎて行く中・・・

ひさびさのお風呂に入って疲れたようで、すやすやと寝ている母りんの横で、わたしは本を読んでたんだけれども・・・なんか、いつの間にかに、寝てた。


そしたら、なんと・・・

母りん、行ってしまいました。
わたしが母りんの横で居眠りしていた時に。
(この頃は、まだ、「逝く」とか書くのにちょっと抵抗あった・・)

居眠りしつつも、睡眠時無呼吸症候群みたいな息づかいだったのが気になって、なんとなく頭で聞いて、気をつけてたつもりだったんだけども。
(看護師さんが来た時に、「無呼吸症候群っぽいわね~」的なことを言ったのも認識できていた。)

でも、亡くなる少し前に・・・お医者さんが来て確認してくださっていたらしいのは、すっかり爆睡してたようで、まったく気づかなかった。(結構小さい物音でもすぐ起きてしまう自分なので、これは、ほんとに、めずらしい・・・時差ボケのせい?それとも、母りんのスピリットに寝かされた???)

で、その後に、もう一回看護師さんが来た時は、わたしの意識も、ちょっと戻っていて、なんとなく、看護士さんがいろいろチェックしている音を聞きながら、まだスッキリ起きれず、うつらうつらしていたところ・・・

「あれ???」とかって看護士さんの声がしたため、なんかただ事ならない様子を感じて、焦って一気に目が覚めた。

「まさか?」と思ったけど、看護士さんがいろいろ、呼吸のチェックなんかやってて、「え?呼吸が止まってるってこと???」とか思いつつも、「いやいやいや、その『呼吸が止まった感じ』に思えるのは、『無呼吸っぽい呼吸のちょうど間だから』ってだけだよね???」って、わたしも、あわててヨロヨロ起きたら、看護士さんが、

「呼吸、してないかもしれないですね・・・」

と、言った!!!

「いや、でも、何かつまって止まってるのかも?」ってことで、一応、タンを吸い取ってくださり。

でも、それほどの・・・詰まって息が止まるほどの量でもなくて、「あれ?泡、吹いてるかも???」と言うことで、お医者さんを呼びに。

そして、お医者さんがいらして、いろいろチェックしてくださった後に

「多分もう戻ることはないと思いますので、家族の方にご連絡を。」と言われ。


え?
今?
今、行った!??!
なんで、今?
妹、まだ今日、来てないんですけど??
ってか、病院変わったばっかりだよ??


・・・みたく、いきなりの出来事に、信じられず。

あまりに信じられなくてばたばたするというよりは、うーん、これは一体、なんだ???みたいな感じで、事実に、まったく自分の意識が追いついておらず、ぼーーーーーーっと止まってるような感じ。

・・・でも、これ、本当のことだなぁ・・・

・・・って段々、じわじわ実感してきた・・・。


わたし、隣りに居たのにーーーー!!!
なんで、黙って行てしまうのさっ?!?


・・・でも、後からそれを思い返したら、わたしを寝かした後でこそっと行った、みたいな感じがした。

アメリカから戻って来たばっかりで、まだ時差ボケなんかもあって、疲れてるだろうから、ちょっと寝かせてあげよう・・・ってやったつもりが、わたしがすっかり爆睡してしまって全然起きないから、「寝かせたら起きなくなっちゃったわぁ・・・一体、ちえみってば、いつ起きるのかしらん・・・起きるの待っててあげられないから、もうこっちに来ちゃったわよ。」ってすぐ上で、苦笑しているようなイメージが浮かんで来た。


いやぁ・・・でも、こんなに、ほんとに、文字通り隣りにいたんだし・・・離れて暮らしてたって、亡くなる人が夢の中で挨拶に来て、あとで聞いたら、その時間に亡くなってた・・・みたいな話とか聞くから・・・隣りにいたんだから、何かメッセージ・・・があるとか、体からエネルギーが出て行った・・みたいなのを、鈍感なわたしでも、何か察知したりするかな〜???って思ったけど、なんにも、そーゆーの、なかったなぁ・・・


(いじょ、引用おわり)


ってことで、ホスピス移って、ほんの3日目に、亡くなり、その急さに、驚きつつも、このお風呂も入ってちゃんとキレイになってから、向こうの世界に行った、ってあたりに、わたし的には母りんミラクルを感じてたりします。ああ、ちゃんと、母りんの計画通りなんだな、っていうか。
(母りんは、むかし、洋裁屋をやってて、おしゃれさんで、お金はかけないながらも、いつもこぎれいにしてたので。)
ちゃんとキレイにさっぱりしてから、あっち(父さんがすでにいる天国)に行ったんだなぁ、みたいな。


・・・で、なんと、気がつけば、26日だった!!!見事に!!! ((( ;゜Д゜)))


だけど、わたしは、お葬式の準備の頃まで、このことは、すーーーーーっかり、忘れてた。
お葬式の書類だとか、打ち合わせだとかをしてて、日付を書いてた時かなんかに、「あれれ!!?!26日じゃんっ!!!夢に出て来た日にちじゃん!!!」ってふと、つながったと言う・・・

そして、母りんのミラクルは、まだまだつづくのであった・・・っていうか、この後のがすごかった・・・(あと1回くらいで終わる予定・・・)
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by chiemittii | 2010-12-24 07:07 | いろいろ思ふ・・

母りんミラクル。その5。

母りんミラクル。その4。」の続きです。


夢を見てから、出発まで、3日程度。

その突然すぎる自分の決断に、自分でビビりつつ、それでも、ちょこちょこ母りんのスピリットからの助け、のようなプチ・ミラクルがあって、それは=「このまま行って、だいじょうぶ。合っている。」って母りんから言われてるみたいな安心感をもらって、日本に到着。

到着した日は、そのまま病院に直行すれば、面会時間にぎりぎり間に合うかも・・・ってことで、妹とは病院で落ち合う予定にしていたのが、なんとその日、電車が事故で遅れてしまい、間に合わなくて、病院には行けず。(でもこれもきっと、ホーリースピリット采配・・・)

なので、面会時間終了後に別の場所で、妹とは合流して、明日の、ホスピスへの病院移動のうちあわせなどして、その後、実家入り。

家に着いたら、ヤモリさんがお出迎えしてくれ、「いない間、うちんちを守ってくれてたんだね〜。ありがとう。」とか思ったり。(とりあえず、もう、なんでもいい方に!!!)

そして次の日=ホスピスに移る日。(24日)

なんと、母りん・・・肺炎を起こしてるっぽい、ってことで、微熱があったため、申し込んでいたNPO団体の介護タクシーを使うのは無理に。
介護タクシーは、フツーのタクシーなので、=は救急設備が整ってないので、道中に何かあると危険、ということで、急遽、救急車仕様の病院の車(酸素ボンベとかついてるやつ)で行くことに。
肺炎を心配しつつ、でも、道は空いていて、がんがん走れたため、2時間程度で無事に横浜の市民病院から、東京の、妹の家に近いホスピスに到着。

ずーーーーっと、ベッドにくくられてたヒモつき手袋とか、胃まで通ってた鼻の管とか、いろんなものを全部とりはずしてもらって、母りんも、やっとフツーの人間らしく、ベッドに横たわることができた。(お医者さんが、「秋山さん(母りん)の嫌なことは全部やめましょうね、栄養は足から入れる分(=透明な点滴の栄養剤)で足りますから。」と言って、鼻チューブは抜いてくれました。その、一人一人の状態をちゃんと見てくれている感じが、うちら姉妹的には、「ああ、ここにお任せしていれば、人間らしく最期まで過ごせるかも」と、思えて、すごーーーーーーく安心できた。)

ホスピスの部屋は、個人部屋がよかったけれど、とにかく何人も待ってる中を、うちら姉妹の特殊な事情をお医者様に考慮していただいての特別措置で早めに入ることができたため、個人部屋は空いてない、とのことで相部屋。

・・・のはずだった。

なのに、なぜか、なにか事情が変わったみたいで、母りんの病室には、他にはだれもおらず、個人部屋状態だった!!!=事務所みたいにだだっ広い病室に、うちらだけ!!!!!!! (☉д⊙)
・・ぃやっほーーーーーーーーーーーーい!!!(ミラクルミラクル)

女3人寄ると、かしましい・・・ってことで(いや、母りんは、かしましくはないけども)母りんの隣で、姉妹2人で、くるくるしてたり(アホ姉妹・・・)でっかい声で気兼ねなくしゃべって、のびのび大騒ぎ。(今まで4人部屋で気を使ってたからね・・・)

他に誰もいないので、窓も、誰にも遠慮することなく開けることができるしーーー!!!

ちょうど、窓の目の前には、森があって、窓を開けると、秋の心地よ~い空気が、森のかほりとともに、そよそよ~っと病室にはいってきて、ほんとに気持ちのよい病室だった。
(外の空気が吸えたのも、母りん的にはひさしぶり。これも、わたし的にはミラクルだと思った。泣。)

でもって、あまりに気持ちがよいので、病室で瞑想したり、じかヒーリングしたりとか、わたしたちも好き放題。


そして、25日。
ホスピスってところは、いいねぇ・・・
(いい、ってのも、どうかとは思うけども・・・)
行きたい時間に、いつでもお見舞いに行けて、なんかあったら、家族が無料で泊まれる部屋があったりもして。(どこでもそうなんだろか・・・???)

・・・ってことで、お見舞いは、昼間はわたし担当で、家が病院から近い妹は、仕事終わってから夜、・・の担当に。(今度は思う存分たっぷり、母りんと時間を過ごせるぞ、ということで)


そして。
なんて、すばらしい!!!
こういうところには、アロマセラピーマッサージのボランティアさんとかが来てくれたりするんだねぇええ・・・☆

もちろん、情報を知って、即効で申し込みをして、早速、母りんの足のマッサージをしてもらった。(脳の刺激には足マッサージだ!!!と思い)

途中、ホスピスに移ってリラックスしたからか、それとも足のマッサージのお陰なのか・・・「え?なんか会話通じてないかっ?!?!(絶対通じてるよねっ?!?!)」って感じに、何回も目が合ったりしたので、アロマセラピストの方が、足のマッサージをしてくださっている間に、わたしの方は母りんの頭の近くで、いろいろ話しかけてみたりして、ここぞとばかりに刺激を与えてみたりしていた・・・「何か言いたいことあったら、頭に思い描いてくれたら、伝わるから、なんでも言ってね。」だとか、過去にはありえない、やさしい、いたわりの言葉もたくさん伝えてみた。(それこそ、母りんに、しっかりと意識があったら、素直になれず、こんな言葉は言えなかっただろーなぁ・・・)

そして、このとき、母りんも、目をものすごく大きく見開いて、小さいけどうなづいていて、ちゃんと会話できてた気がする・・・!!!



午後になって妹が来て、夕方。
女性の看護士さんが来てくれ、母りんのタンを、そうじきみたいな吸い取る機械で取ってくれた。
でも、母りん的にはそれは相当気持ち悪くていやだったみたいで、そのあと、池の鯉状態で、口をパァアアアアアアっと開けて、しばらく、パクパク呼吸をしてて、それが、すごい笑えた。
ってか、あまりにおかしすぎて、ホスピス病棟なのに、看護婦さんと大爆笑してしまったーーー。
信じられないことに、母りんも、「ぐふふふ」と笑っていた!!!(これは気のせいではなく、ほんとに!!!看護婦さんとうちら姉妹の6つの目でしっかり見たので!!!)

あとから、妹に聞いたら、そんな笑顔を見たのはひっさしぶりだったとか・・・
(やっぱ、リラックス出来ると、変わるんだろか?!?)

で、その日はわたしは、午前中から行ってたのとまだ時差ボケで疲れたりしていたので、夜の部は、引き続き、妹に任せてわたしはちょびっと早めに帰宅。

この後、なんと、妹と母りんとの間で会話があったのだとか。

●●● 妹メモから。

意識が少し普通?
何かをしゃべろうとする。
「大丈夫?」と聞こえた。
私の体を気遣ってくれたのかな。
この日は夜8時頃までベッドの脇で書きモノをしつつ、病院で過ごす。
「明日も来るからね~」と行って帰ろうとする私の姿をずっとずっと見ていた。

(いじょ、引用おわり)

妹的には、この時、すんごい名残惜しそうに、母りんが、じ~~~~~~~~っと、見ていて、ちょっと、気になったのだとか・・・


ホスピスに来て、たったの2日間で、「え?もしかして、会話もまたできるようになっちゃったりする???」なんて思えるほど、コミュニケーションが取れるようになったりして、やっぱり体がのびのび楽になると、心も余裕が出て来るのかなああ、とか思い・・・このまま行ったら、意外と脳の方も復活して来ちゃうんじゃないか・・・?!?!みたいな期待が思わず湧いて来てしまったりした。



(つづく・・・)
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by chiemittii | 2010-12-10 15:42 | いろいろ思ふ・・

母りんミラクル。その4。

・・・と言うことで、10月はじめに帰って来て、自分の誕生日(15日)は、アメリカで過ごし、さて、次、いつ本格的に日本に戻ろう・・・ってことに、また、なったけど・・・

母りんが、ホスピスに入る日は、10月の24日に決定し。

一方、わたしの方は・・・

今度日本に行く時は、本腰で(本腰ってのも、なんだけど)母りんの魂にきちんと最後のお別れをするつもりで行こう、と、覚悟を決めており。(なので長期滞在予定)

なので、テキサスに引っ越して来てから、テキサスではまともに生活しておらず、ほとんど日本に行きっぱなしな状態になっていて、だんなが、田舎での単身赴任生活になってしまって、迷惑をかけっぱなしだったので、少しアメリカで生活をして(だんな孝行みたいなことをしつつ?)引っ越しの後片付けなんかもある程度落ち着かせて・・・余裕を持ってから、日本に戻ろう、と思っていた。

なので、母りんが、ホスピスに移って1ヶ月くらいしてちょうど落ち着いた頃の11月末ごろに日本に戻ろうかなぁ、と考えたりしていた。
(お医者さんには、「年内くらいですね」と言われていたので、もちろん、そのとおりに行くわけではないにしても、一応、年末前に行って、そのまま、もうアメリカには戻らずに、最期まで見守る覚悟でいた)

でも、そうは思いつつも、妹にすべてホスピス関連のことをしてもらってて、悪いなぁ、って言う罪悪感もあったりしたので「やっぱり、ホスピスに転院するときに、わたしもいっしょに立ち会った方がいいかな〜・・・2人いる方が心強いだろうか・・・」とか思ったりして・・・ちょっと、日程的な部分では、まだ考えがまとまらずにいた。(なんか、こんな非常事態だというのに・・・アメリカと日本を行ったり来たり・・・していて、毎回飛行機代とか、だんなの給料で大金を使わせてもらったりしていて・・・ついつい「自分は稼ぎもないのに」と、なんだか、申し訳なく思ってしまったりするのでした・・・。)


・・・で・・・そんなこんなで、

いつ、行ったら、いいか。
いつ、行くのが、ベストなのか。

自分はどうすべきなのか・・・

さっぱりわからなくなってしまって、大混乱で、また、帰る日程を自分で決められずにいた。
(自分の気持ち、どうこう、より、「どれを選べば、全部の人にちょうどよくって、あんまり迷惑がかからないで行けるのか」とか、余計なもんいっぱい、持って来て、ぐるぐるし出すから余計混乱・・・)

そんなある日(10月19日)の日記・・・

母りんのことについて、すでに先に天国に行ってる父さんに、母りんのことについて、「意識障害が出てコミュニケーションができないけどなんとかもう少しコミュニケーションが取りたい」だとか、母りんがやっぱり、治ってくれること、だとか・・・を、お祈りしたときのこと。
(日記からの引用です)


(意識障害についてお祈りしてたとき)「でも、病気のことがばっちり意識できてしまう、という状態で、そんなこと(=娘たちに下の世話とかまでされるの)かーさん、いやにきまってるじゃないか・・・」 って父さんに言われたみたいな感じがふとしてきた・・・
で、「ああ、そういや、そうだ・・・母りん、そういうこと、最もいやそう・・・」って思い、母りんが意識障害になってしまったことを、やっと納得できた、というか、なんか、その状態を受け入れられた感じがしたというか。

でも、そうしたら、「ああ・・・つまり、もう、この世的なコミュニケーション(会話での)は不可能、ってことなのかなーーーーー??? 」って気がした。


と書いていた。


で、その次の日(20日)の日記には、


朝、お祈りしようと、外へ出て、星、きれいだな~って思って、オリオン座などを見ていたら、なんと流れ星!!!
なんかいい感じ。

そのときに、昨日思い至ったこと・・・今のこの、「母りんが意識障害が出てしまった状態で生き長らえていてくれている・・・みたいな状況」は、ある意味、神様&母りんからの、わたしたち姉妹への最期のギフトなのかも・・・ みたいに思えてきて、そう思えたら、なんだか、感謝の気持ちが湧いて来たというか、「こんな状態の中でもやはり、愛はちゃんと見つけられるんだなぁ」みたいなことを思ったというか。
そして、「どうして病気がひどくなってしまったんだろう、何がいけなかったんだろう・・・???」ってぐるぐるしてしまうことが多いけど、病気がひどくなってしまった流れなんかも、やっぱり、すべて、きっと母りんのスピリットの用意周到な計画があったんだろうなぁ・・・ってことも思って、神様の計画ってすごいな~とも感動。。。

だって、「妹の結婚を見届けるまでは!!!」 って部分でも、かなり、母りん、がんばっていたような気がするし。(妹の結婚について長年心配してたけど、その、妹の、家族だけでの内輪での結婚式に、病院から外出許可を得て参加したあと、脳の治療があって、意識障害になってしまったので=それは、なんだか、「見届けたからもう安心」って母りんが思って、安心して死ぬ準備を始めたように思えたので)


・・・で、↑の、「今の(意識障害でこの世的なコミュニケーションができなくなってしまった母親との間の、言葉とか態度を使わないコミュニケーションを持つための)時間、って、神様から与えられた時間なのかもね・・・」ってことを、妹にメールで送ったら、同じ時に妹からもメールが届き、そのメールには、「ホスピスの病院の先生に審査の時に『お母さんはこれまでよくがんばっていましたね。』って言われた、っていう話が書いてあり・・・
同時メール&内容がほとんどそっくり・・・な、シンクロに、これまた、母りんの、「そうなのよ。この今の時間は、わたしがあなたたちに用意してあげた時間なんだから、後悔しないように、わたしとちゃんと最期までしっかり関わっておくんだよ!!!」って念押し&確認のメッセージが来てるように思え・・・ああ、ほんとに、ありがたーーーい、と思った。


とはいえ・・・一方で、日本に戻る日程の件では、相変わらず、自分の中にはっきりした答えが出て来ない・・・(今回は、だんなの長期出張、という助けもなく・・・)

そんなある日、「もう、わかんね~~~!!!お手上げ!!!」とソファでふて寝、してしまったのだけれども・・・(瞑想して心を落ち着けて心のメッセージをしっかり聞き取りたい、って思ってても、あまりに気が散ってしまって、瞑想もできなかったので、寝るしかない、みたいな。せめて、夢で教えてくれ〜、指示出してくれ〜、みたいな)

そしたら、なぜか「26」「26」って出て来て・・・なぜか、あわてて、飛び起きた!!!
飛び起きた途端に、夢のことも思い出して「26、ってなんだっけ???なんだろ・・・???」と、しばらく考えてたものの、よくわからず・・・

と、そしたら

「え???あれれ???26日に、あっちの世界に、行っくってこと?おかーさぁあああんっ!??! ((( ;゜Д゜)))」

って急に、いろんなものがつながった感じがして(オセロが一気に全部ひっくり返った、的なひらめき感!!!)

「うぉーーーーーー!!!行かなきゃっ、大変!!!!!!!!!」

って大慌てで、めずらしく、浮かんだ直感の指示??のまま、飛行機のチケットを取った!!!

で、取れたのが、10月22日アメリカ出発、23日に日本着、のチケット。
=24日のホスピスに転院、につきあえる、ってことで、スケジュール的にもいちばんちょうどいい感じに。(とはいえ、チケット取ったあとに、わたしのエゴが「え?ホスピス移ってすぐに天国行っちゃうわけないよね?さっきの変な直感みたいなの、単なる夢だよね??」って思ったり&思いたい気持ちもあったり・・・していて、そのうちに、この数字のことは忘れてしまった・・・)


(つづく・・・)
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by chiemittii | 2010-11-13 18:19 | いろいろ思ふ・・

母りんミラクル。その3。

母りんミラクル。その1。からつづいています。

義父さんのお葬式のために帰国して、それを利用して日本にちょっと長めに滞在してたのが、7月はじめから、7月末くらい。

で、一旦アメリカに戻り。

「だんなの出張」と言う、「ミラクル後押し」に助けられて決断した、母りんの脳のガンマ治療の立ち会いに合せてのわたしの日本行きが、8月なかばくらい。

その治療さえ受ければよくなる、と思っていたのが、治療の後、意識障害が出て来て、治る気配がまったくなくて、アメリカに戻るに戻れない状態で、母りんの看病のため、結局それから1ヶ月半ちょい、結局、10月始め頃まで日本に滞在しっぱなし。

季節も、すっかり夏から秋に変わってしまい、だんなの方も、長期、とはいえ、さすがに出張から戻って来て、テキサスの引っ越したばかりであまり整っていない家にひとりで生活しており・・・「お母さん、具合はどうなの?アメリカにはいつ戻ってくるの?」 みたいな感じに。
(テキサスの田舎で、仕事は夜中まで・・・だったりしたので、そうなると食事についても結構大変だったりして)

わたしの方も、家族4人が元暮らしてた実家からの病院通いで、広すぎる一戸建ての実家に、いっつもたった一人で寝泊まりしてて、母りんが手入れをしなくなって久しい庭は、雑草ぼーぼーで森みたいになりつつあり、病院の面会時間が終わって、夜、まっ暗くなってから実家に戻って来たときに、誰かが庭に潜んでても、「わかんないよー、ちょっとこえーよー」って感じで(隣近所で空き巣の被害が実際にあったりしたので結構リアルに怖かった・・・)実家での一人暮らしもちょっときつくなってきた・・・

で、どうしよう、このまま日本に滞在つづけるか、一旦アメリカに帰るか、みたいなことに。(また、苦手な決断をしないとならない状況・・・泣。)

・・・っていうのは、脳のガンマ治療を受けてしばらくしたら、母親の状態はよくなる、と思っていたので、その程度の準備しかして来ておらず・・・
アメリカの家の方も、「ちょっと行ってすぐ戻って来る」的な半端な状態だったし、日本で滞在する準備の方も「ちょっと滞在してすぐ帰る」的な用意しかして来てなかったので、これ以上、入院が長くなるなら、それなりに腰をすえて、アメリカの家の方も、長く空ける整理をして、日本での長期滞在用の服なんかも含めて持って来るモノを持って来るとか・・・いろいろ用意して来た方がいいんじゃないか・・・と思ったりしたのでした。

で、じゃぁ(日本へ長期滞在するための準備をしに)いつごろ一旦アメリカに戻ろうかな、となったとき・・・このときは、あんまりそういうことを言わないだんなも、さすがに「そろそろ一回帰って来て」みたくなったので、母さんのことが気がかりながらも、そんなこんなで10月はじめころにアメリカに戻った。

あとでよくよく考えたら、それは、わたしの誕生日の週で・・・「あああ・・・これって、母りんのスピリットからの『だんなさんのいるアメリカに帰って、ゆっくり誕生日を祝ってもらいなさい』ってギフトだったのかなぁ」・・・みたく思えたり。(うぅ・・泣ける・・・)


・・・ってことで、そんな感じで一旦アメリカに戻って、無事誕生日も祝ってもらいました。

その後、引っ越して、まだ、ちゃんとまともに過ごしていないテキサスの田舎では、相変わらずやることはないし、戻った後に、妹と話してたときに「そろそろ、ホスピスに移ろうか」と言う話が出て来たりして、そっちのことも気になり、アメリカに戻ったはいいけど、やっぱり、早々に日本に戻らないとな〜・・・、な状況に。

というのは・・・・・その頃入院してた病院はフツーの市民病院で、看護士さんの数もいまいち足りない感じで・・・自分ではもう何もできなくなってしまって意識障害もある母りんのケアをしてもらうには、うちら娘的には、なんか足りないって思ってしまう部分がいっぱいだった、というか。

たとえば、母りんは、割と肌が弱くってかぶれやすいんだけれども、オムツを長いこと放置されてて、かぶれがひどくなってしまったりとか・・・もちろん、お風呂なんて、入れてもらえる時間も余裕も、看護士さんたちの方にはあるわけもなく・・・体ふいてもらうがせいぜいで、それも、何日かに一回で。(なので、うちらが、行った時に、ふいていたけれども)

意識障害はあるけど、母りんは多分、全部のことをわかっているはずだから、なんだか、いろいろ、かわいそう、っていうか、娘的にはいたたまれない、というか。
「お風呂入ってさっぱりしたいだろうなぁ」とか、看護士さんたちが、大急ぎでドタバタと処理して行くの(しょうがないけれども)「いやだろうなぁ」とか。

それと・・・
食事が自力では食べれないので、鼻から栄養チューブを通してたんだけれども、そのチューブが気持ち悪いから、ってことで、母りんが、無意識で手で引っ張って抜いてしまうもんで、それを防ぐために、基本的に、腕と手を・・・ヒモっていうか、ヒモ付き手袋??みたいなもので、ベッドにくくられてたりして・・・(それは、安全のために仕方ない処置とはいえ、やはり、悲しかった・・・なので、うちらが行ってる間は、チューブの見張りができるので、それを取ってあげていた。というか、それを取ってあげる時間を長くするため=ちょっとでも人間らしい時間が長く過ごせるように、と思って病院に毎日通っていたようなもん・・・って言うか。・・・まぁ、同室の人的には毎日来てて迷惑だったかもしれないけど。汗。いや、もうもう・ぎゅうぎゅうな、4人部屋だったもんで ・・・)


・・と、そんな感じで、母りんを人間的に扱ってもらうのは、病院の状況的にも無理っぽいってことが、すでに、それまでの看病でつくづくわかってしまっていたし、意識障害の方も、どうやら戻ることがなさそうで、ガンの方も多分もう治る見込みがない・・・・・ってことが、ほんとにあきらかになって来てしまったので、それだったら、もう、全部やめてしまって、ホスピスに移って、母りんにゆっくりリラックスして最期を過ごしてもらおうか、と言う話になってきたのでした。

わたしが日本にいた間にそういう話が出てたらよかったんだけども、なかなか、そうそう、うまくは行かず・・・
アメリカに戻ってしまってからそういう話が出て来たので、仕事もしていて、結婚生活もちょうどはじまったばかりで、ただでさえ、新しい生活に慣れるのに大変な中、仕事の合間をぬってお見舞いに通っていてしんどいのに、この話が出たことで、妹の方には、更に、ホスピスの病院に母りんの病状を説明しにいったり、ホスピス側の説明を聞きにいかねばならなかったりして、負担がまたまた大きくなってしまい・・・・・
それはそれで、姉としてはまたまた心苦しかったりもした。(ああああ、この「妹の結婚」も、後に書きますが「母りんミラクル」のひとつ、です。)


でもって、やっぱり、ホスピス入院を待ってる人はたくさんいたので、母親の状況がほんとにホスピス・ケアが妥当なのか、とか・・・・・査定?!のようなものもあったりして・・・
審査してもらうために、お医者様との面談があったりもして、面談では、ほんっとに、ホスピス入れてもいいのかどうか=「もうガンが治るための治療はあきらめるんでいいんですよね?」ってのを念押しされるような感じになるので、それは=「治ることは、あきらめた=お母さんが近い将来死ぬ、ってことに同意したんですよね?納得したんですよね?」って、念押しされるみたいな感じにもなるので、精神的にちょっとキツイ・・・
で、その、「キツイこと」を、妹に一人でさせてしまった状況は、いまだに、申し訳なく思ってたりもする・・・。


それでも、このときにもミラクルがあって、ウェイティング・リストがすでにいっぱいで、数ヶ月先まで入院するのは無理、って聞いていたのに、お医者の方から、母親の状況と、うちら姉妹の状況を考えていただき(妹は仕事をしつつ病院通いをしていて、身体的に精神的にも、もうかなりしんどいこと、手伝える家族は妹の他には姉しかいないけれど、その姉は、生活の基盤は今はアメリカにあること、などなど・・・)なんと、すぐにホスピスに移れるようにアレンジしていただいたのでした。
うぅ・・・今書いてても、まだ、うるって来てしまうほど、ほんっとこの先生には、感謝です・・・


と、そんなわけで、病院を移る日が10月の末に決まり、じゃぁ、わたしは、いつから、また日本に行こうか、ということになったのでした・・・
(決めるのが苦手なわたしに、またまた「要決断」の状況・・・ 何回来るんじゃー!!!って言う・・・。でも、こんときのミラクルが、これまた、すごかった!!!!!)


(つづく・・・)
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by chiemittii | 2010-11-11 12:12 | いろいろ思ふ・・

母りんミラクル。その2。

ガン闘病の母親を置いて、また、アメリカに戻るにあたり・・・

元々は、「義父の急死による一時帰国」だったので、母親の看病をする覚悟も準備もまったくしていおらず・・・
ちゃっちゃと日本に戻って、義父の葬儀関連の仕事が済ませて、とっとと、アメリカに戻るつもりでいた。

だもんで、引っ越したばかりのアメリカの家は、当然、いろいろなものが、途中・・・
ほったらかし・・・
やりっぱなし・・・

・・・なので、「母親の看病で日本に長期滞在するなら、一度アメリカに戻って、それなりの準備をして来ないとダメじゃん」と思っていた。

プラス、

「母親との間で、また、いろいろと感情的にしんどいことを体験する前に(平和な関係でいられる間に)アメリカに帰っておいた方がいいんじゃないか。」

と言う思いもあり・・・(いくら母親といっしょにいるのが居心地がよくない、とはいえ、またケンカしたりするのは、いやだったので。なるべく、平和に過ごしたかった、と言うか・・・でも、母親とわたしがずっといっしょにいたら、それは多分無理なので)


アメリカに戻ることと、日本に残ることで、どっちがいまの状況で一番ベストなのか、いちばん正しいのか・・・みたいなことをリストアップして、あれこれプラスマイナスして、結果、そのときは、アメリカに一旦戻ることが正しいような気がして、アメリカに戻って来たけれども・・・

アメリカに戻ったら戻ったで、やっぱり、次は「母親をほったらかして、アメリカにいる」と言うことの方に罪悪感が湧いて来た・・・(さすが、エゴのなせるわざ・・・何を選んでも平安ではいられない・・・)

「母さんにまたひどいこといわれるかも。母親との間で、また、いやな思いしたくない。イヤな思いをして、心をえぐり掘られたような感覚になったり、母親に対して、憎い気持ちが湧いたりするのがイヤだ。」なんて子供っぽい気持ちには脇に置いて、もう、大人なんだから、ちゃんと大人対応して、母親の愚痴とかイヤミに耐えて、看病するべきだったのではないか、だって、だって母親は、手術の出来ない場所にある癌と共存しているのだから・・・
それに、自分、長女だろ???

みたいに。

とはいえ、同時に、

「看病し続ける、っていつまでだ???治る見込み、ないんだよ???」

というのもあり・・・
かと言って、「余命数ヶ月」みたいなことを言われてるわけではないので、やっぱり、なにをどうするのがベストなのか、よくわからない・・・

そんな状態だったので、やっぱり、やりっぱなしのアメリカの家を放置したまま、日本に居つづけても、逆に今度は、「じゃぁ、どんなタイミングで、アメリカに戻るんだ???」というのもあったりで・・・


そんなわけで、「日本に行きっぱなし」ってわけにもいかないけど、「ちょこちょこマメに帰れる距離でもない」のに、「こういう家族の一大事でも、いろんな方向に、罪悪感とか、変な遠慮とか、『自分、傷付きたくないよ〜』って甘えだとかで、ごちゃまぜで、頭がパンパン」な自分を情けなく思ったりしながら、ぐちゃぐちゃな日々を過ごしていた・・・

とはいえ・・・

ほんとに、ほんとに、混乱しすぎて、もうどうするのがいいのか、ベストなのか、何もわからない状態だったので、当時の殴り書きメモ、みたいなモノを見ると、「どーにもできないから、神様!!!なんとかしてーーーっ!!!助けてーーーっ!!!」みたいなことが、しょっちゅう書いてある・・・!!!爆。


あるときの手帳には・・・


わたしはテキサスにいてもいいのか、やっぱりすべてをほっぽらかして、日本に戻るべきなのか・・・
もうなんにもわからない。
わたしはどうするのがベストなのか、どうすべきなのか、ぜんぜんよくわかりません。
神様、わたしがどうすべきか、という『サイン』をどうか送ってください。
でも、もう、ずっとお願いしてるから、もしかしたら、その答えをくれてるのかもしれない・・・
だけど、わたしには、わからない・・・
わたしの方でそれをいまだに受け取れていないのかもしれない。
こんな鈍感なわたしでも納得せざるを得なくて&単純でわかりやすい答え、・・・って言うか、サイン・・・を神様、どうか、お願いします!!!!!!!!
母親の入院に対して、わたしがどうすべきか・・・・どうか答えを下さい!!!

・・・って超必死!!!


でも・・・

そしたら・・・

来たんだね・・・ちゃんと、答えがっ!!!


急に、だんなが「XX日から、メキシコに出張に行くから~・・」と。
それも、短期じゃなくって、長期!!!


長期出張・・・って言ったら=引っ越したばかりで知り合いもいないこの土地で、わたしは、ほんとに、文字通り「一人ぽっち」

おお、だんなのご飯の心配をする必要、ない!!!(そう・・・この田舎の土地は、10時過ぎには店が閉まってしまうようなところだったので、なのに、だんなの仕事の帰りは毎日真夜中だったため、わたしが家で食事の支度をしておかないことには、だんなは食いっぱぐれてしまう・・・という心配もあって、「だんなを一人でほっぽらかして」日本に長期滞在することに、迷いがあったのだった・・・← これまた、わたしの母親は、戦前生まれでだんなを立てるタイプ!?だったため、「だんなさんを放っておいて、自分の看病にかまけるべきではない」という考えのもち主でもあったし・・・)


なおかつ、テキサスでは、なんの仕事もないし、子供もいないから、子供の学校がどうのこうの・・・とかっていう心配もない。
だったら、まだ慣れないテキサスの新しい家にひとりで居続けなくっても、いいよね???
日本に帰っちゃって、いいよね???
帰っちゃったって、誰にも迷惑がかからないじゃーーーん!!!???
母からも(意識が垣間戻ったときとかに)「だんなさんが出張でいないなら、しょうがないわね〜」って、わたしが日本にいて、母親を看病していることについても、怪しまれずに済むし!?!?
(上に書いたように、古い人間だったので、「娘が夫をほっぽらかして、実家の親の面倒を見る」という状態になることをすごい気にしていた。+普段わたしが、そんなキャラじゃないのに、「夫をほっぽらかしてまで、母親を長期で看病する」みたいな状況が、=「わたしって、そんなに病気が重いのかしら?」と更に不安にさせてしまいやしないか・・・と言うのも心配で「隠さなければ!!」と言うのもあった)

・・・って、もう、パズルがバシッとはまるみたいに、すべてがちょうどよくおさまって「おおおおおお!!」と感動してたら、さらに、だんなの方から、「ここにいても、やることないんだから、お母さんの看病に行って来たら?」とさらにだめ押し!!!


そんなこんなで、すべてがスッキリまとまって、「母親の看病をしに日本に帰る」ということをやっと決心できたのでした。

(つづく・・・)
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by chiemittii | 2010-11-08 04:55 | いろいろ思ふ・・